Bonjour.

気まぐれに発信。

今日のニュースから

プログラミング教育開始

  • 9月より、独語圏の複数の州での小学校で、10〜12歳を対象に、コンピューター・プログラミング教育が始まる。
  • これまでもITの授業はあったが、コンピューターやソフトウェアの使い方を教えるにとどまっていた。
  • 子どもの能力開発、国の経済発展に資するとの判断。
  • 教師の育成、他教科との時間枠の調整などが課題

スイスでは教育制度は各州に権限がある。独語圏で先行して、仏語圏はこれに続くそうだ。日本では2020年から導入される方向で検討が進んでいるとのこと。

よし。

Facebookのアカウントを削除した。

今年のテーマは、自分がご機嫌でいられるようにすること。

世の中、不機嫌の落とし穴だらけである。

自分の心の持ちようなのはわかっている。

感性を鈍らせて見て見ぬふりをしたり、

受け流すこともできるくらいには、年を重ねた。

でも、それ何の修行なんだよ、と。

己の心を強く保つ修行のまえに、

ご機嫌を損ねるものをなるべく遠ざけてみようと思った。

SNSのおかげでたくさんの人と繋がれたし、

いろんな情報を知ることができたし、

自分の思うことを一度に広く発信ができるのは便利だった。

でも、

流れてくる情報に振り回されずにいられるほど、強くなれなかった。

まったくもって、自分のこころの弱さゆえ。

一対一の対話を意識して過ごしていきたい。

と、いいつつ、ブログは消さずにぽつぽつ買いていこうかな、などと思っている。

自己矛盾だけども。

したいようにするさ。

 

うらやま。

「うらやましい」と言わないようにしている。

いいことがないから。

「うらやましい」とか「いいな」は相対的、主観的なもの。

本当のことは、本人にしかわからない。

「うらやましい」と言った途端、それは手の届かない所にある気がしてしまう。

「いいな」と言った途端、「私なんて・・・」と続けてしまう。

よろしくないのだ。自分の精神衛生上。

というわけで、「うらやましい」禁句。

ほどほど。

20年ぶりにスキーをした。

翌日から海外出張の予定だったので、ほどほどにしておこう。

そう思っていた。

でも、ほどほどは、実は難しい。

ほぼ素人なので、全身に力が入り、絶対に怪我できないと思うと、さらに緊張する。

ほどほどというのは、力を抜くということ。

力を抜くというのは、経験を積んで、

「加減」を調節できるようにならないとできない。

そう、ほどほどは、

力を入れ過ぎたり、逆に抜き過ぎたりを繰り返した果てに習得できる、「技術」。

スキーをして2日後に、全身の筋肉が私にそう教えてくれた。

悲鳴を上げたくなるほどの、筋肉痛、という形で。

 

何事も、そうなのだ。

入社したての頃、「ほどほどにして早く帰るようにしなさい」と言われたけど、

最初は要領も悪いし、頑張り過ぎてしまって、

終電まで残ることもあった。身体も壊した。

でも、そんな時期を経たからこそ、

人に迷惑をかけず、自分の身体と心の健康も守れる程度の、

「ここまで頑張ろう」「ここまででいいや」

ができるようになった。

 

ほどほどは、習得するものなのである。

 

最低にして最高の道

素敵な詩を見つけた。

 

最低にして最高の道  高村光太郎

 もう止さう。
 ちひさな利欲とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういううるさいけちなものは、
 ああ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 この世の抜駆けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆかう。