Bonjour.

気まぐれに発信。

うつうつ。

「インプット過多じゃだめ、アウトプットしなきゃ。」

自己啓発本Twitterに流れる意識高い系の呟きに煽られて焦るものの、どうすればいいのか戸惑っている。

確かに、本を読んだり、映画を観たり、旅行に出かけたりするのは好きだけど、「良い刺激を受けました」で終わるのはもったいない。

一方で、えーと、SNSが普及する前は、そんなに「アウトプット、アウトプット」言ってましたっけ?

滝のように流れてくる情報の濁流から心を守るのも精一杯なのに、吸収したことを顔も知らない「世間様」に発表するなんて、忙しすぎる。

そして、自分が発信する情報には、他人から見てお金を出してでも読みたいと思われるほどの「価値」がないといけないみたいだ。

これといって珍しい体験も、誇れるキャリアや専門性も、それを表現するスキルもない私は、ネットの海に言の葉を浮かべてはいけないような気持ちになってくる。

それでも。

コロナの脅威に覆われた世界で、1Kの小さな部屋や半径数キロメートルの世界に閉じこもったまま1年半以上も経つと、どこへともなく呟きたくなる。

おーい。私はここにいるよ。

別にお金を稼ぎたいわけじゃないし、バズりたいわけでもない。私の彼は、「SNSが人を幸せにしたことがあったか?」と平気で言う人だ。そして私はそれを否定できない。

先週、ふとしたことがきっかけで、10年近く放置していた写真共有サービスflickrの自分のアカウントに、久々にログインしてみた。フィルムカメラにはまっていた頃の自分が切り取った写真たちと再会して、その1枚1枚を眺めていると、その瞬間に向き合った時の自分の気持ちまで蘇るようで、甘酸っぱく、ほろ苦かった。そして、思った。

やっぱり心の片隅で、感じたことを残したいし、伝えたいのかもしれない。それがどんなに拙くても。

じゃぁ、どこがいいのかなと、ハウツー情報も色々漁ってみたけれど、結局、世界の片隅で、細々と、気まぐれに、呟きを文字にしたい私のような者には、ここが一番のかも知れないな、と思い立ち、こちらも久しぶりにログインしてみた次第。

定期的に書こうとも、速く書こうとも、上手く書こうとも思わない。ただ、何か書きたくなったら書ける場所が、そういえばここにあったなぁ、とそう思っただけで、少しだけ、嬉しい。そんな秋の夜。

Nice

隣りからの視線を感じて顔を上げると、カップルがこちらを見ていた。

Bon soirと挨拶すると、男性の方がワインのボトルを持ち上げて、

「シャブリを1杯いかが?」と言う。

それは何だか、一人ぼっちの私にとって、恵みの飲み物のように染み渡った。

エレナとアンドレアはイタリア人で、

アンドレアは船長、エレナは給仕係として、あるお金持ちのオーナーが所有する船で働いているという。

普段はモナコで他の乗組員たちと共同生活をしていて、

次の出港までの束の間の休暇を利用して、ニースまで遊びに来たそうだ。

「職場が船上」という人に初めて会ったので、私は興味津々。

彼らも日本人の私に興味津々で、ハルキ・ムラカミが好きだ、

日本には受験戦争という言葉あるって本当か、会社に命を捧げるなんておかしい、

結婚してから相手の親と暮らすなんて信じられない、なぜ音を立てて麺をすするのか、など、

次から次へと不思議の国ニッポンへの感想や質問を投げかけてくる。

お互いに拙い英語で話しているうちに、ボトルが空になり、「よかったら2軒目どう?」とのお誘い。

いつもの自分なら、遠慮していたと思うが、一人になりたくなくて、ついていくことにした。

世界一美味しいボロネーゼを作るという料理人のパスクエロも加わって、

小道に入ったところにある薄暗いバーのテラス席で、プロセッコを頼む。

南イタリアには一度は行くべきだ、生のトリッパをレモンと塩で食べるとうまいぞ。

イタリア人はみんな、自分の街の良さや料理の味を分かち合いたくて仕方がないんだ。

経済はいまいちだけど、幸せさ。

イタリア人はオープンだけど、フランス人は違う人を見下すから好きじゃない。

君がフランス人だったら声を掛けようと思わなかった。

ワインはフランスが有名だけど、1000円や2000円クラスならイタリアワインが勝つ、などなど。

楽しいお喋りがひと段落した頃、私は、今日起きたことを話した。

友人が突然愛する人を失い、それを見送って、一人残っているのだと。

「だからなのね」

エレナが優しく私の肩を抱いて言った。

「あなたがとても悲しそうだったから、どうしたんだろうねって彼と話していたのよ」

「一人で、シーフードの盛り合わせも頼まず、何でパスタなんて食べてるんだろうってね(笑)」

張り詰めていた心が一気に緩んで、その後は何を話したかよく覚えていない。

たぶん、大切な人と一緒に時間を過ごせることは奇跡で、

だから一瞬一瞬を大切に味わって生きたい、そんなことを語り合った気がする。

お互いだいぶ酔っ払っていて内容はよく覚えていないけれど、

魂の深い深いところで分かり合えた、そんな実感だけが、宝物のように残っている。

21時になると、女性は店を出るように促された。

ここからはメンズオンリーの社交場になるらしい。

ミュージアムパスが残ってるからあげるわ。シャガール美術館がよかったよ」

通りすがりの若者に記念写真を撮ってもらい、みんなでハグをして別れた。

エレナはなんと後日、

「Geneva, Momoko」という手掛かりだけで私の職場を突き止め、

電話を掛けてきてくれた。

記念写真は見事にピンボケで、パスも期限切れで結局使えなかったのだけれど、

あの夜の思い出は鮮やかに残っている。

Nice

心は彼女に寄り添いつつ、体はあと1日半ニースにいなくてはならない。

とりあえず、バスに乗り込み、ニースから北西約20キロメートルのところにあるVence村を目指す。

マティスが晩年を過ごしたVence。

そこに、彼の芸術の集大成と言われるロザリオ礼拝堂(La Chapelledu Rosaire)がある。

バスはぐんぐんと丘を上っていき、小1時間揺られて村の入り口に着いた。

"Chapelle Matisse" の標識を頼りに坂を登っていくと、住宅地の中に白くこじんまりした礼拝堂が現れた。

第二次世界大戦の頃、がんの手術を受け生死を彷徨っていた71歳のマティスは、

モニクという一人の看護学生の献身的な看病で一命を取り留める。

やがて戦争が終わり、ドミニコ修道女となっていたモニクから焼け落ちた礼拝堂の修復の相談を受けた

マティスは、無報酬で、礼拝堂の設計から内装デザインまでを請け負い、最後の力を注ぎ込んだ。

既にほぼベッドと椅子の生活を送っていたマティスは、座ったまま、あるいはベッドに横たわったまま、

竿を使って絵を描いていたという。

(ロザリオ礼拝堂の内部は撮影禁止なのだけれど、ぜひ公式サイトの写真を見て欲しいhttp://chapellematisse.com/

礼拝堂の中は、一面のステンドグラスから柔らかな光が差し込んで、静寂と平和そのもの。

ステンドグラスに使われている青、緑、黄色はそれぞれ、空、植物、光を表しているという。

その色味とバランスも絶妙で、コートダジュールの明るい太陽の下で暮らさないと

この色の組み合わせは浮かんでこないかも、と思った。

色といえばこのステンドグラスのみで、真っ白な壁面には、

花に囲まれた聖母子像やキリストの受難の様子が、黒い素朴な線だけで描かれている。

習作では顔も描かれていたそうだが、マティスは試行錯誤の末に、輪郭だけで表現することを選んだ。

誰もが心の中で想像できるように。

1947年から制作を開始して、1951年に礼拝堂は完成し、マティスはその4年後に84歳でその生涯を閉じた。

何だかその清らかな静寂から去りがたくて、椅子に座り、しばらく今朝起きたことを思い、目を閉じた。

バスでニースまで戻り、近代・現代美術館を漂流。

ニースで生まれ育ち34歳という若さで亡くなったイブ・クラインの、

有名な「インターナショナル・クライン・ブルー」と呼ばれる深く吸い込まれそうな青一色の作品や、

チューリッヒ駅構内の天使像で馴れ親しんでいたニキ・ド・サンファルの作品を観て回った。

そうこうしているうちに夕食時になったので、一人でも入れそうなカジュアルなレストランを検索。

ガリバルディ広場に面した魚介類専門店「Café de Turin」に入った。

いつもの如く、夕食を一人で食べに来ている女性は私くらいで、

混み合う店内の中、通路にはみ出すように無理やり置かれた小さなテーブルに通された。

隣りのテーブルのカップルは、イタリア人だろうか。

生牡蠣、エビ、貝、カニムール貝などが2段に盛られたお皿を挟んで、

白ワインの入ったグラスを片手にお喋りを楽しんでいる。

一人の私は、シーフードパスタとグラスワインを注文。

(それはそれで魚介のお出汁が効いていてとっても美味しかった)

そうしている間にも、彼女からのテキストが、ポツリ、またポツリと届く。

とてもそれどころじゃないだろうに、「せっかくだから楽しんで」なんて言うものだから、たまらない。

何で彼女がつらい時に、自分は賑わいの中でパスタなんて食べてるんだろう。

その日にあった出来事を一つ一つ思い返して、ため息をついた。

Nice

ヨーロッパの冬は暗い。

ジュネーブは雪が積もることは滅多にないが、レマン湖の上を分厚い雲が鍋蓋のように覆い、

貴重な昼間もどんよりした天気が続く。暗い中バスに乗って出勤し、暗い中帰路に着く。

8月下旬から冬に向かい、3月までそれが続くものだから、鬱になる人が多いというのも頷ける。

だから人は冬の間、太陽を浴びにスキー場に行くか、暖かく海に開けた南欧に向かうのだ。

「青空が見たいねぇ。」

ドイツにいる友人とそんな話をしたのは、

冬の明るい日本での正月休みから戻ってすぐのことだった。

お互いに直行便があって、どちらかが行ったことのある場所を消していき、

残ったのがニースだった。ジュネーブからならイージージェットという格安航空で1時間という近さだ。

テロがあった場所だがその後は落ち着いているようだし、行ってみようということになった。

私たちの旅はいつも、金曜日、それぞれ仕事を終えてからバタバタと空港に向かい、

現地のホテルで落ち合うことになっている。

その日も夜遅くにお互い無事に辿り着き、食事もそこそこに眠りについた。

翌朝、外に出ると夢に見た青空が広がっていて、気候も穏やかで、

もうそれだけで旅の目的が半分かなったような気分になった。

石畳の旧市街でマルシェを冷やかし、甘い香りのするハーブティーを買った。

カフェでクロワッサンとオレンジジュースとカフェオレという典型的な朝食を食べて、

お店の外の出ると、細い路地の向こうに朝日を受けてキラキラ輝く青い海が見えた。

なんだかいても立ってもいられなくて、ワァっと歓声を上げて駆け出そうとしたその時、

(彼女といるといつも、子供のように純粋な気持ちになれるのだ)、

彼女が携帯の着信記録に気付いた。日本からだった。

そしておよそ3時間後、私は一人、呆然と海を見ていた。

海沿いの道は、カーニバル前の閑散期を狙って同じように太陽を求めてやって来た観光客が行き交い、

海辺ではデッキチェアに腰掛けて日光浴を楽しむおじいさん、愛を語らうカップル、犬と戯れる人。

冬の海は柔らかく光を反射して、静かで、穏やかで、そして泣きたいほど青かった。

時間はみんなに等しく流れていて、でもこの瞬間に抱いている感情は、みんな違う。

誰かが、誰かを想っている。彼女は大切な人を想い、私は彼女を想っていた。

日本に向けて発てるのは早くて明日の朝だという。

青く輝く海が、距離が、自分の無力さが、ぜんぶ恨めしく思えた。

でも、フライトを早めようにも空きはないし、ここで過ごすしかない。

ニースに来たら行きたいと思っていた場所に行ってみよう。

沈んだ心のまま、バスに乗り込んだ。

Christmas Market in Cologne

ジュネーブプロテスタントなので、クリスマスマーケットも寂しい感じ。

本場のクリスマスマーケットを求めて、ドイツに飛んだ。

目指すは大聖堂で有名なケルン。

世界最大の大聖堂は、駅前にどどーんとそびえ立っていた。

この近さ、このデカさ、想定外。

2年前にコルマールに行ったとき、

クリスマスマーケットに一人で来るほど寂しいものはないと、

ヴァンショーをすすりながら、しみじみと感じた。

でも今回は、友達と一緒。あぁ楽しい。

寒いときに、寒ぅ〜と、

おいしいときに、おいしい!と、

可愛いものを見たときに、かわいい♡と、

言い合える人がそばにいる。それを幸せと言う。

今年は、どんな一年でしたか?

私は、人と人とのつながりや、

共に過ごす時間のかけがえのなさを

感じる一年でした。

あと何回、会えるだろう。

あと何回、一緒にご飯を食べられるだろう。

あと何回、一緒に旅に出られるだろう。

あと何回、感謝の言葉を伝えられるだろう。

あと何回、喧嘩できるだろう。

あと何回、触れられるだろう。

あと何回・・・?

そんなふうに思ったら、

目の前の人が愛しく愛しくてたまらない。

今年も、いてくれて、ありがとう。

だいすきです。

Happy Merry Christmas!

Zingaro

鬼才・バルタバスが率いる騎馬劇団Zingaro。

その名を知ってる人はどのくらいいるだろうか。

2009年に来日公演を果たした時、知人が興奮しながら話してくれたけど、

私は行くことができなかった。

そして2015年。

ジュネーブに来て間もない秋、バルタバスが監修を務めるヴェルサイユ馬術アカデミーのショー、

「騎手の道 La Voie de l’écuyer」がジュネーブに来ることを知り、

慣れないフランス語のウェブサイトでチケットを買って一人で観に行った。

そして、私はすっかり馬の美しさに魅了されてしまった。

馬の美しさだけでなく、

人と馬が信頼し合って一つのショーを作り上げるその姿の美しさに心打たれた。

バルタバスの劇団の本拠地がパリ郊外にあり、今年の秋に新作が公開されるという。

これは行くしかないだろう。

TGVで3時間かけてパリに向かい、そこか地下鉄で30分ほどのところにあるオーベルヴィエで降りる。

メトロの駅を出てすぐのところに、木でできた小屋が2棟建っている。

「Restaurant」と書かれた方に入ると、そこは木組みのテントのような円形の作りになっていて、

中には歴代のZingaroのショーで使われた衣装や小道具が飾られ、

開演を待つ人々がサンドイッチをつまんだり、ワインを飲んだりしながらゆったりと待っていた。

しゃがれ声のおじさんの口上の後、別棟の小屋へ移動。

階段を上って入口を入るとそこは2階で、1階には馬小屋がある。

出番を待つ馬たちを見下ろしながら通路を進むうち、高揚感が高まっていく。

劇場に入ると、ろうそく風のライトが円形の砂場をぐるりと囲み、

その周りにすり鉢状の客席がしつらえられている。

劇場の中央は真っ暗で何も見えない。

カップルに挟まれながら、最前列の席で開演を待つ。

客電が落ち、尺八や太鼓など素朴でエキゾチックな音楽の生演奏が始まり、

スモークが焚かれ、だんだんと劇場の中央が薄明かりに照らされる頃、

そこに最初から10頭ほどの馬の群れがじっと立っていたことを知る。

そこから1時間半は、何だか夢を見ているような気分だった。

ワクワクというより、夢と現が溶け合う幽玄の世界。

私がジュネーブで見たショーは、あくまで人が馬を操る「馬術」のショーだったのだが、

Zingaroのショーは、それとは全く違い、人が乗りこなす場面はほとんどなかった。

馬たちが歩いたり、駆けあり、立ち止まって耳を澄ませたり。

民族楽器を使った幻想的な旋律の中で、その様をただただじっと見つめる。

人が砂を使って作り出す波の音に合わせて白い馬が駆けるシーンは、

長くたなびくたてがみが、打ち寄せて岩に砕ける白い波のように見えた。

統率の取れた動きだけではなく、寝転んだり、仲間とふざけ合う場面もあって、

馬の美しさ、賢さ、高貴さだけでなく、人間臭さ(というと変な感じだが)も感じられ、

混沌というか、倒錯というか、官能というか、

ただ綺麗なだけじゃない、心がざわざわするような不思議な感覚。

サーカス的な余興を求めていくと、がっかりするかも知れない。

全く子ども向けの内容ではないのに、親子連れもたくさん来ていて、

小さい頃からこんなハイレベルな芸術に触れられるパリの子供たちは贅沢だ。

馬はやっぱり特別な動物だと思うのだ。

馬、といえば。

ずっと前に映画館で見たこの映画も忘れられない。

フランス南部のカマルグ湿原では、今も野生馬たちが駆け回っているという。

たてがみを靡かせながら、湿原を駆ける馬たち。いつか見てみたい。

Iceland, day3

3日目は、アイスランド南部を回るツアーに参加した。

最寄りのバス停に立っていると、次々とピックアップバスがやってきては、

ツアー客を乗せて出て行く。

各ポイントで参加者を拾い、バスターミナルで大きなバスに乗り換える仕組みになっているのだ。

この日はあいにくの雨模様で、皆テンション低め。

ガイドさんはここが腕の見せ所と言わんばかりに、

アイスランドの農業の歴史や言い伝えなどについて、熱を込めてお話ししてくれた。

最初の訪問はスコゥガフォス(Skogafoss)の滝。

幅約25m、落差約60mという大きな滝で、晴れた日には、その水煙が虹をつくり絶景を楽しめるらしい。

・・・が、けっこうな強さで雨が降っており、レインジャケットのフードを被って、

しばらくその水量と音を近くで感じただけで退散。

晴れていれば、綺麗な虹が見られるらしい、ね・・・。

次は、何カ所かあるという黒砂の海岸のうちの一つに連れて行ってくれた。

玄武岩質の溶岩石が流されて砂状になっているために、黒いのだそうだ。

この頃は雨も止んでおり、低い雲の垂れ込めた海岸の風景はなんだかとても幻想的だった。

荒い波を立てる灰色の海を眺めながら、海岸線の向こうにバイキングの乗った船が現れる様を想像する。

海岸沿いの食堂でハンバーガーを食べてから、

島の最南端にあるレイニスフィヤラ(Reynisfjara)という海岸へ移動する。

途中でようやく日が射してきた。緑の苔で覆われた大地に、雲の陰が映って美しい。

人の手がほとんど入っていない自然。地球の地肌に触れるような感覚。

レイニスフィヤラに着く頃にはちょうど晴れて、強い風が吹き荒ぶなか、

珍しい形の岩々を眺めることができた。全くどうしてこんな形になるんだろう。

写真には撮れなかったが、ウミスズメ科のPaffin(ニシツノメドリ)も見ることができた。

愛らしい外見とは裏腹に、水深50m以上まで潜ることができる強者らしい。

海岸を後にして、次はミールダルスヨークトル氷河。

氷河はスイスでも何度か見たけれど、こんなに近くまで行ったのは初めて。

温暖化でどんどん溶け出しているとのこと。

観光客が残したのだろうか、石ころを積み重ねた塔がぽつぽつと立っていたのだが、

ガイドのおじさんは見つけるたびに、足で派手に蹴散らしていた。

理由を問うと、おじさんは視線を落としたまま、

「残していいのは足跡だけ。来た証を残したければ、写真で十分だと思うがね」

と静かに、でもきっぱりと言った。

塔を蹴散らしながら歩くおじさんの、毅然とした背中が忘れられない。

最後の目的地は、セリャラントスフォス(Seljalandsfoss)の滝。

最大落差はおよそ65mとこちらも大きな滝だが、

滝の裏に小道が通っており、歩いて滝の裏側に回れる・・・はずなのだが、

なんとこの日は危険なため立ち入り禁止。残念。

さらにまたしても雨が強くなってきたので、早めに退散。

晴れていれば、妖精が出てきそうな美しい姿を拝めそう。

とにかく、アイスランドの天候の変わり易さを実感した一日だった。

夜はホテルの近くのグリルレストランで食事をした。

カウンター越しにキッチンの様子を眺めることのできる、ヨーロッパでは珍しいタイプのつくり。

盛りつけも凝っていて、日本の鉄板焼きや焼き鳥屋も参考にしていそうな感じだった。

アイスランドの食材は、魚介類と羊肉が中心だが、

メニューを見ると、鯨、馬、海鳥のパフィンなどの珍しい肉も載っている。

さすがに食べなかったけれど・・・

https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1UwgS96NHqyrUAw4CjBpwO-LDgzI"